東京都協会審判委員会副委員長であり、都立江東商業高等学校に勤務されていて、高体連女子部の審判委員長でもあるAA級審判員の野口浩正氏にインタビューしました。
=審判を始めたきっかけは何ですか?=
高校3年生時代に後輩の練習ゲームや区民大会の帯同審判として笛を加えたのが初めてだと思います。決して楽しいものとは思いませんでした。早く終わらないかなと思っていました。ただ、区民大会の時に審判をしていたとき何回か顔を合わせていた方に「うまくなったな」と誉められたのを覚えています。
大学に入って3軍で練習の合間の日曜日に東京都の高校などの公式戦の審判に派遣されてから、少しまじめにやろうかなって思い始めたのがきっかけだと思います。ただ長続きしませんでしたが。
=公認審判からA級審判に昇格されたときに一番大変だったことは何ですか?=
ゲームのレベルが変わり、かつ主審が多くなってきてある時のある試合、それが競っているときで、テーブル・オフィシャルズと関係でゲームが中断しすばやい最終判断が任せれるときがあったのでさすがにビビリました。すばやく思った判断をしましたが結果的には何もなかったので良かったです
=公認審判とA級審判の違いは何だとお考えですか?=
一番は判定力と決断する力かなあと思います。
=高体連所属としてインターハイの研修会にも参加されていますが、その厳しさをお教えください。=
今年で参加資格がA級以上に変わってから6年目となりました。
(1)高等学校教諭で日本バスケットボール協会A級公認審判員であること。
(2)A級公認審判員のいない都道府県においては、ブロックA級審判審査に参加し都道府県大会の準決勝以上を常に吹けると認められた者。以下省略・・・となり、全国からのレベルの高い審判員が集まります。毎年AA級の審査会に出る審判員も参加し、レベルはさらに高くなる一方です。
また公認審判員が半分以上ということで、相変わらず次のランクを狙う者としての意気込みが非常に強く伝わり、日本のトップで活躍しておられる講師の方々の指導は、言葉優しくとも内容は大変鋭く厳しいものがあります。私は5回目のインターハイ派遣(A級としては3回目)参加をしました。インターハイには能代の追っかけで仙台インターハイから毎年見学だけ欠かさず現地に行き研修会から拝見させていただき雰囲気だけは感じていました。
公認で参加した京都では3回戦、高知では2回戦、A級初年度の岩手では3回戦、岐阜では4回戦という結果で満足をしてしまった自分がいました。(平均3回戦)4回戦を吹けるという一つの壁を破ったからでした。そこから2年間がたちこの日立に臨みました。一度4回戦をいただけたからといっても今回はどうだろう不安ばかりありました。結果は4回戦いただくことが出来ました。ほっとしました。
ご存じの通り、モデルゲームから本番へとその日の笛の善し悪で割当が決まっていくというサバイバルな状況の中、良い緊張と良い刺激としてとらえることが出来ると思います。開会式後に行われた審判会議で割り当てが発表になります。2回戦までの割り当ては審判員全員に割当表が配布されます。自分の割当を確認したあとその後すぐ回収され、周りの者がどこをどのように割り当てられたのかわかりません。チーム関係者に漏れないような配慮だそうです。
ここで2回戦がない方は残念なことで1回戦で本番は終わりです。3回戦以降は、夜中にホテルの部屋のドア下に割り当て用紙が置いてある場合は、次に割当があるというような一種何ともいえない雰囲気になります。その結果で明日の宿がない以上、その宿を出て行かなくてはならないため、自分も含めて翌日に荷物をまとめて会場に行く姿は寂しく感じます。まさにサバイバルです。当時、私自身は42歳といういいわけをしないように、自分らしさを出そうと思いました。
結果はどうだったか分かりませんが、恥ずかしい話、現地参加する前に練習をしての頑張りすぎか気のゆるみか、足首捻挫と大退部軽い肉離れをしてしまいました。このアクシデントが割当をする人にばれてしまうと、はじかれてしまうのではないかと思い、我慢し黙っていました。東京都から男女合わせて4名(今年で4年目・以前は男女とも1名づつ)の審判員が参加します。私自身運良く4回戦までいただきました。ここまでモデルゲームを含めて5ゲーム吹くことが出来ましたが、各地方によってのバスケットの違いに戸惑いを感じながら、常に力を出し切ることの難しさ知りました。まだまだ課題が多いことを再認識すると共に、その色々なバスケットを肌で感じなければならないことを痛感しました。上手く感じることが出来ず、試合終了後、握手をしながら監督から「もっとファールを吹いてくれなくちゃ」とまでいわれショックを受けたこともあります。準決勝(5回戦)の目があるぞと!お声をかけていただき、3回戦を頑張りましたが夢となりました。すごーく残念でした。
様々なタイプの審判員が全国レベルのゲームをどの様に吹いているのか、自分と置き換えながら学ぶことが出来、常日頃の意識づけと鍛錬を、より一層高める必要性を強く感じました。レベルの高い審判員はそれぞれ特徴のある独特の形(個性)を持っていることも参考になりました。研修会及び大会を通じ、レベルの高い審判員に触れ、多くの人達と出会い、大変良い経験ができました。毎日夕食は関東ブロックの方々や東京の仲間達などと本日の反省や出来事を話しながら和気藹々としています。この参加で終わりではありません。また、この経験を東京都の方々にうまく表現でき伝えることができればと思います。
=AA級として活動されて2年目となりますが、昨年1年間を 振り返っていかがでしたか?=
1年目相当困惑しました。現在もそうですが一番はスーパーリーグを担当させていただいたことで、正直何もできなかったことを痛感しています。すべての試合に「こわい」と感じています。1年経ったっても変わっていませんが。さあこれからまた今まで以上に手綱を締めなくてはと思っています。
=思い出に残るゲームがあればその様子をお教えください。=
毎試合思い出に残りますが、変則的に行われたウインターカップ2003です。
県立能代工業84 対 82福岡大附大濠
(20−20 23−13 23−28 18−21)
3位決定戦が舞台となった伝統ある両校の対戦は20対20で第1ピリオド終了。43対33で前半を終える。後半、大濠はゴール下の激しいプレー、能代工はルーズボールからの速攻と互いにペースをつかもうとする。大濠#4#5の3P、#7のミドルシュートで5点差に詰め寄り第4ピリオドへ。第4ピリオド開始早々能代工#5が4回目のファウル。しかし、その直後速攻に良く走りダンクシュート。大濠は好調の#12の3Pとカウント1ショットで残り4分78対75。#9のシュートで逆転。残り1分30秒能代工#4のシュートで、再び能代工3点リード。残り10秒で大濠#5の3Pで同点。スローインから残り1秒能代工#9のシュートが決まり、激しい試合に終止符をうった。ゲーム終了と同時に観客から拍手が送られる好ゲームであった。
というコメントがありましたが、終わった選手からそれも負けた選手から握手を求められたのは初めてだったのですごく思いで深い記憶があります。